食譜

随分前の事。


NHK爆笑問題の番組で“食譜”の研究に


スポットをあてた回がありました。




プロならば、ワインや珈琲のテイスティングで得た味の構成や、


口の中での膨らみ方を、紙面におこす事はあります。 


しかし同じワインや珈琲をテイスティングしていても、


人によって、またその日の体調によっても必ず誤差が生じます。 


味覚は主観的なものですから。




もしも音楽でゆうところの“楽譜”と同じ様に


“食譜”を作ることができたなら、客観的に味わいを共有し、


100年先、200年先にも今と同じ味を再現する事が出来るでしょう。


味わいの構成って、メロディのようなものですから。





100年前の料理を、気候の違う今を生きる僕達は美味しいとおもえるのか?


また、100年後を生きる人達にはどうだろうか?


美味しさには流行があるにせよ、普遍的に美味しいとおもうポイントはあるはず。


今これを書きながら飲んでいるローヌのシラーは普遍的か?




なんておもいながら、美味しいのでもう一杯。